観察と気づき

日々の風景から得た、小さな気づきの記録です。

野犬はなぜ捕まえられ、殺処分という制度が生まれたのか

前編では、昔は町に野犬がいて、今はほとんど見かけなくなった理由について書きました。

では次に、「見えない場所にいる野犬」は、自然のままいられず、なぜ人間に捕まえられるのでしょうか。

そしてなぜ、保健所に入れられ、期限が設けられ、ときに殺処分という結果に至るのでしょうか。

この話には、複雑な人間社会の事情が絡んでいます。

野犬が捕まえられるのは「罰」ではない

まず大前提として、野犬が捕まえられるのは、悪いことをしたからではありません

主な理由は、

  • 人への危険を防ぐため
  • 公衆衛生を守るため
  • 繁殖を抑えるため

です。

管理されていない犬は、

  • 噛みつき事故
  • 追いかけによる転倒
  • 感染症リスク

といった問題を抱えやすいです。

特に、子どもや高齢者がいる社会では、「何か起きてから」では遅いですよね。

そのため行政は、事故を未然に防ぐ立場として、野犬を放置できません。

保健所は「保護施設」ではなく「管理施設」

ここで、多くの人が誤解している点があります。

保健所は、動物を一生守る場所ではありません。

本来の役割は、

  • 公衆衛生の管理
  • 危険の排除
  • 一時的な収容

です。

そのため、

  • 収容期限がある
  • スペースや人手に限界がある
  • 譲渡が成立しなければ次の判断が必要

という制度になっています。

冷たいからではなく、最初からそういう役割で設計された場所なのです。

殺処分は「選ばれている」というより「残ってしまう結果」

殺処分という言葉は、どうしても重く感情を強く揺さぶります。

でも現実には、「殺すことを選んでいる」というより、

  • 引き取り手が見つからない
  • 人に慣れていない
  • 怖がって攻撃性が高い
  • 長期飼育ができない

といった理由で、行き場がなくなった結果として残ってしまうケースが多い。

これは、犬個体の価値の問題ではありません。社会の受け皿の限界の問題です。

さらに言えば、捨てられたり野犬化した犬は現在進行形で増え続けているので、結果的に収容数の限界により殺処分せざるを得なくなってしまいます。

犬は「自然に返せる存在」ではない

ここで一つ、よく聞く意見があります。

「野犬は自然に返せばいいのではないか」

でも、犬はそもそも、

  • 日本の自然の中で進化した動物ではない
  • 人と一緒に生きることを前提に作られてきた存在

です。犬はそもそも、人が大陸から日本へ移動してくる過程で、一緒に連れてこられ、
人と共に生きる存在として暮らしてきた動物です。

野山に放すことは、

  • 生態系への影響
  • 犬自身の過酷な生活
  • 人里への再流入

につながります。

「自然に返す」という言葉が、必ずしも優しさになるわけではありません。

では、なぜ地域猫はできて、地域犬は難しいのか

地域猫が成立している一方で、地域犬がほとんど見られないのには、理由があります。

何となく想像がつくかとは思いますが、

犬は、

  • 体が大きい
  • 群れやすい
  • 行動範囲が広い
  • 吠え声や威圧感がある
  • 事故が起きたときの被害も大きい

また、

  • しつけや人との関係性で行動が大きく変わる
  • 個体差が非常に大きい

という特徴もあります。

地域全体で「一律に管理する」ことが、構造的に難しいのです。

問題の本質は、犬ではなく人間側にある

ここまで見てくると、野犬問題の本質は、犬そのものではないことが分かります。

  • 捨てる
  • 放す
  • 管理をやめる
  • 責任を引き継がない

そうした人間側の行動が、野犬という状態を生み続けています。

そしてその後始末を、行政と制度が引き受けているのです。

簡単な正解は、たぶんない

殺処分をなくしたい。
でも事故は起こしたくない。
犬も守りたいし、人も守りたい。

どれも正しい。

だからこの問題は、単純な善悪では語れません。

ただ一つ言えるのは、

野犬という存在は、自然の問題ではなく、人間社会の設計の問題だということです。

ここまで考えてくると、
「じゃあ、私たちはどうすればいいのか」という問いに行き着きます。

海外のように、血統書付きの犬をペットショップで買うのではなく、
保護犬を迎えるのが当たり前になればいいのではないか。
そんな意見を耳にすることも増えました。
最近は、保護犬や里親募集に光が当たる機会も、確かに増えています。

けれど正直に言えば、私たち自身がはじめて犬を飼いたいと思ったとき、「保護犬」という選択肢は、まったく頭にありませんでした。
犬を迎えるなら、ペットショップかブリーダーさんから。
それが普通で、それ以外のことは考えもしなかった。
たぶん、多くの人にとって、それが長いあいだの「当たり前」だったのだと思います。

だから、
私を含め多くの人が過去に保護犬を選ばなかったことを、無責任だったとか、冷たかったとか、そうやって切り捨てるのも違うように思えます。
社会そのものが、そういう選択を「普通」にしてきたからです。

もしかしたら、必要なのは
「みんなが保護犬を選ぶべきだ」という正解ではなく、
犬を迎えたいと思ったときに、
保護犬という選択肢も、最初からそこに並んでいる社会の在り方なのかもしれません。

野犬の問題も、殺処分の問題も、犬だけの問題ではなく、
人間社会がどう設計されてきたか、という話です。

簡単な答えは出ません。
でも、こうして考え続けること自体が、
野犬たちの未来を、少しだけ違うものにしていくのだと思っています。