「誰がやる?」犬の世話から始まった、朝の小さな違和感

今朝、夫が布団の中から私に声をかけてきました。
「犬のおしりに、うんち付いてないか見てくれる?」
すでに起きていたのは私でした。
夫はまだ布団の中。
気づいたのは夫なのに、確認する役目は私。
一瞬、「あれ?」と思いました。
でも、こういうことは日常の中でよくあります。
だから普段なら、何も考えずに見に行って、拭いて終わっていたと思います。
その日は、なぜか立ち止まりました。
「嫌だよ」とだけ言って、そのままにしました。
特に理由があったわけではありません。
怒っていたわけでも、抗議したかったわけでもない。
ただ、「それ、私じゃなくてもよくない?」と思っただけです。
しばらくして、夫は自分で犬のおしりを確認して、拭いていました。
それで何かが起きたわけではありません。
空気が悪くなったわけでもない。
ただ、「あ、自分でできることだったんだな」と思いました。
この出来事は、とても小さなことです。
犬のうんち一つで、家庭が変わるわけでも、社会が変わるわけでもありません。
でも、後から考えてみると、
こういう「当たり前」が積み重なって、
いつの間にか役割のようなものが出来上がっていくのかもしれない、
そんな気がしました。
誰かが悪いわけではありません。
夫も、私も、たぶん無意識でした。
「気づいた人がやる」
それが自然なことのようで、
なぜか特定の人に寄っていくこともあります。
もしその場で、
「それはおかしい」
「不公平だ」
と説明していたら、たぶん話は別の方向に進んでいたと思います。
でも、何も言わずに少し待っただけで、
なぜか私が動くという前提がほんの少しだけ変わりました。
それだけのことです。
最近、夫婦の役割について見直そうという声を、よく聞くようになりました。
働き方も家族の形も変わってきているはずなのに、
気づくと、昔ながらの役割分担がそのまま続いていることも多いように思います。
それは誰かが意図的に決めているというより、
無意識のうちに、そうなってしまっていることのほうが多いのかもしれません。
「役割を見直そう!」と大きな言葉で語られる議論よりも、
こういう日常の中の小さな違和感の解消のほうが、
案外、暮らしを静かに変えていくのかもしれません。
これが本当に「フェミニズム」なのかどうかは、
正直よく分かりません。
でも、少なくとも私は、
こういうところから少しずつお互い無理せず暮らし方を更新していけたらな、と思います。